四柱推命を学び始めた頃、「干合の大運は要注意だよ」と何度か耳にしました。
でもその時の私は、「ふーん。干合は合わさるから、悪くないんじゃ?」と思っていました。
実際に、自分がその10年に突入した時、じわじわと・・・。でも確実に、自分じゃない何かに引っ張られている感覚がありました。
気づけば、「あれ?私ってこんなんだっけ?」と何度も自分に問いかけるよになっていました。
この記事では、干合の大運を過ごして感じたしんどさと、そこから抜けてみて見えた景色について。
自分の実体験を交えて書いてみようと思います。
干合とは?大運で起こる「変容」の10年

四柱推命において、「干合(かんごう)」という現象があります。
これは、自分の日干=その人の核となる性質が、他の干とくっつくことで「別のエネルギー」へと変化するということです。
干合の大運は、自分の「気」が変化する特殊な10年です。
その影響や意味をもう少し深く知りたいと感じた方に向けて、私が参考にした四柱推命の入門書をご紹介しておきますね。
命式内に、起こる干合は性格・相性などに影響することがありますがもし、これが10年間影響を与える大運の中で起きたら・・・?
それは、自分の性質そのものが長い年月をかけて「別のもの」に変わり続けてしまうということになります。
私は、日干が「丙」という自然界において「太陽」五行では「火」の性質を持ちます。
それが、大運で巡ってきた「辛(かのと」という「宝石」五行では「金」と干合し「水」という性質に変化する10年を過ごしていました。
丙は「壬」となり、大運の天干辛は「癸」に変化します。
プラス、十二運は「絶」。これまた生き方の迷子になりやすい時期。ふわふわ揺れ動く。
もちろん、人によって干合で何の天干に変わるかは違いますし、全てが悪いわけではありません。
※流派によっては条件がありますが、私はガン無視してます。
でも、実際に経験してみると自分の軸がブレていくような感覚、自分らしい判断や言動がうまく出せなくなるよなもどかしさが、じわじわと心と体に感じるようになります。
干合の大運は、「何かに同化する10年」とも言われています。
それは、自分以外の価値観や役割に引っ張られやすくなったり、無意識に「誰かの為」に動いてしまったりと。
もし、今「なんとなく自分らしくない毎日を送っている」「昔より自信がもてなくなった」「本当の自分がわからなくなった」
そんな感覚があるとしたら、もしかしたら「干合」の影響かもしれません。
この後、私がどんなふうに「自分じゃない感覚」に気づき、どうやってそこから抜け出してきたのかを体験ベースでお話していきますね。
私の場合:干合の大運で起こった内側の違和感

私が、干合の大運に突入したのは28歳の時でした。
社会の中で「ちゃんとしなきゃ」「地に足つけた生き方しなきゃ」と思うようになり、周りと比べたり、人にどう思われているかを気にしたり・・・。
そんなタイミングで始まった干合の10年は、気づかないうちに自分じゃない感覚に包まれていく時間でした。
もちろん、干合の大運が全て「しんどい」というわけではありません。
実際、芸能人や周りの知人の運勢を見ても人生が大きく好転した方が多くいます。
環境が変わることで新しい才能が開花したり、自分では思いつかないようなチャンスに恵まれたりと。
特に、自分以外の視点を受け入れて成長できる人にとっては、干合の大運が「人生の転機」になることもあります。
でも、私の場合はその逆で他人の期待に合わせることばかり選ぶようになって、自分の意見や感情をどこかに置き忘れてきたような感覚がありました。
もう一度言います。
干合の大運では、自分の本質(日干)が別のエネルギーに引っ張られる現象が起こります。
それはまるで、自分を生きているようで誰かの人生を代わりに演じているような感覚です。
もしこれを読んでいるあなたが今、「なんとなく自分らしくない」と感じているのなら、それは決してあなたが弱いとかではなく、運気の流れがそういう時期にあるのだけかもしれません。
「私らしさ」がぼやけていった日々

干合の10年に入って数年、日々の暮らしの中で自分の「感覚」が鈍くなっていくのを感じていました。
誰かに誘われれば行く、勧められたのを選ぶ。
「別にいいよ」「どっちでもいいよ」が口ぐせになって、本当はどうしたいのかがからなくなっていきました。
それでも、表面上は「ちゃんとこなしている自分」がいたら「このままでいいのかな」と思い込んでいたところもあります。
でも本当は、人の顔色を見て頭の中ぐるぐる考えて「自分で決めてない感じ」が静かに積もっているような。
何を選んでも「それ、本当に私の選択?」って思ったり自信がなくなったり、言葉が出てこないこともありました。
私は、もともと太陽のような明るいと言われている「丙」の性質なのですがこの干合の10年ばかりは雲にかかっているようで出番なしの状態でしたね笑。
丙の方が全て、太陽のような明るさばかりではありませんし、もともとナイーブで表には出たがらない方が多いのでは?私だけかな?笑
つまり干合の10年は、「誰かの期待に応える私」ばかりを育てる一方で「本当の私」を静かに遠ざけていった。
そんな時間のように感じました。
干合が抜けて・・・ようやく戻ってきた「本来の自分」

干合の大運が終わりつつありますが、すぐに「私が戻ってきた!」とはいかず・・・。
でもある日、ふとした瞬間に「これって、私がの望んでいることかも」って自分の本音がストンと腑に落ちる感覚がありました。
それは大きな転機というより、日々のいちいち小さな選択の中でじわじわ感じるよな「取り戻し」のようなものです。
今でも、正直考えすぎる自分は健在ですが。
でも、昔の私のように「いい人でいなきゃ」とか「こうしなきゃ嫌われるかも」って自動的に動いていた頃とは少し離れて、「これ、自分の心にちゃんと合ってる?」と立ち止まれるようになりました。
人の言葉に揺れることあっても、後で「でも私はこう思う」って思える日が少しずつ増えてきて、その度に「あ、大丈夫。」って思います。
完璧に回復したわけではありませんが、本来の自分に少しずつ「居場所」を取り戻すような感じです。
そんな今が、干合の10年を抜けつつある私の実感です。
最後に:もし今、しんどさの中にいる人へ

もし今、「なんだか自分が自分じゃない」「昔より言葉が出てこない」「選択しているのに、自分で決めてないような気がする」
そんなふうに感じているなら、それは干合の大運という「気の変化」が関係しているかもしれません。
この10年は、目に見える変化じゃない分気づかないうちに自分の軸がぼやけていく。
でも、それはあなたのせいではないです。
運気の流れがそういう時期にあるだけなんです。(私は運気のせいによくしてます。気持ちが軽くなるから)
その中で、「私って何?」と見えなくなるような感覚を繰り返して、ようやく今少しずつ整ってきたように思います。
まだ、完璧には程遠いしぐるぐる考えるし、迷うし、怖くなるときもあります。
でも、そんな自分を前より少しだけ受け入れられるようになった。
それだけでも十分か!と思えるようにもなりました。
干合大運は、しんどいこともあるけどそれが終わる頃にはきっと、「私ってこうだったんだ」ってあなた自身の輪郭がゆっくりではあるが見えてくる。
それを、私はこの10年で経験しました。
今しんどいあなたも、そんな日が必ず来るって伝えたいと思い記事にしました。
参考になれば幸いです。
お読みいただきありがとうございました。
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